8月に平和に関して思うこと

2018年8月12日日曜日

t f B! P L
長崎の原爆記念日(8月9日)に東京で見上げた空

居場所のありかを描く『この世界の片隅に』

 2016年に公開されたアニメ映画『この世界の片隅に』は、ミニシアター発のヒット作として大きな話題になった。

この拙文を読んでいる方の中にも、ご覧になった方は多いのではないかと思う。

自分はアニメはまだ観ていないが、こうの史代さんの原作マンガが好きだ(下手なファン心理が働いて、逆にアニメをなかなか観れない)。

『この世界の片隅に』は、太平洋戦争中の1943年に広島市から呉市に嫁いだ少女、すずとその家族を描く物語だ。

戦時下で食料も物資も不足する中、すず達はさまざまな工夫をしながら、日々を精一杯、幸せに生きようとする。

『この世界の片隅に』には、そんな日常生活のきらめきが、あちこちに描かれている。

個人的に、このマンガのテーマは「居場所」だと思う。

他者との関わりの中で、この世界の片隅に「自分が居てもいい」と思える場所を見つけていくこと。

最終回「しあはせの手紙」では、焼け跡の広島をさまよっていた孤児が、すずと出会うシーンがある。

すずは、見ず知らずの孤児と腕を組んで「あんた、よう広島で生きとってくれんさったね」と微笑む。

この場面の端書に出てくる「どこにでも宿る愛」という言葉を読んで、思わず涙腺がゆるんだ。

「居場所」は、時代を問わず人間にとって大切なテーマだろう。昨日、久々に読み返して、胸が暖かくなった。


ただ、このように前書きした上で、あえて「戦争モノ」としてこの作品を見るとき、自分は、ここで描かれなかった部分が気になるのである。
 

1930年代の東北大飢饉


『この世界の片隅に』のヒロイン・すずが生まれたころというのは、米国発の世界恐慌(1929)の波が各国に押し寄せた時代だ。

ドイツは経済に大打撃を受け、失業率は3割にも上ったらしい。

日本も同様、失業者が町にあふれる状態となったらしいが、特にひどかったのが東北の農村だという。

主要産業である生糸や米の輸出が激減した上、東北の農村を1931年に冷害、33年に地震、34年には再び凶作が襲った。

自分はこの時代に関する文献を十分に読んだわけではない。

ただ、少し調べただけでも、「貧しい農民たちが娘を娼館に売った」「食料がなく、松木の皮まで食べた」といった話が出てくる。

(農業技術者として働いていた宮沢賢治が、「雨ニモマケズ」を書いたのも、この時期らしい)

『この世界の片隅に』やスタジオジブリの『火垂るの墓』をはじめ、戦時下の人々の苦しい生活を描いた物語は多く知られている。

そういった作品に言及する際、「戦争をすると国民はこんなに苦しい生活を強いられる」「だから戦争をすべきではない」といった形で語られることが多い。

それは大切な観点だと思う。

ただ、同時に、「戦争しか解決策がない」と思わせられるような悲惨な状況が日本社会にあったことも、特記すべきではないか。

現代日本に偶然生まれて

 自分がどのような時代・環境に生まれるかは、自分では選べない。

自分は「前世に良いことしたから、今世は恵まれた環境に生まれる」といった輪廻思想を信じていない。

(「前世」という考えは必ずしも否定していない。ただ、例えば障害を持っていらっしゃる方を見て、「前世で悪いことをしたからこうなった」とは思えないのである)

なので、自分が現代日本の、少なくとも飢餓などに悩まされない程度の経済レベルの家庭で生まれたことは、ただの偶然だと思っている。


自分が東北大飢饉の時代に生まれ、家族を身売りしなければならない貧しい家庭に育っていたら、どんな風になっていただろうか。

その時代に「戦争で日本が豊かになれば、オマエの家族が救われる」と言われたら、やはり自分も戦争に行ったかもしれないと思う。

(まあ、体があまり頑丈ではないので、戦争に行く前に死んでいる可能性も高いが)

経済ベースの平和秩序

 第2次世界対戦前の「帝国主義」の時代は、「物事は暴力(軍事力)で解決する」というのが国際社会の常識だったのではないかと思う。

(明治維新も、アヘン戦争に負けて植民地化された中国を見た維新志士たちの「日本をあんな悲惨な状況にしてはならない」という危機感が背景にあったという)

こうした「暴力による秩序」に対し、大戦以降の世界は「皆で一緒に豊かになろうよ」という、いわば「経済による秩序」で平和を構築しようとしてきたと言えると思う。

(政府開発援助(ODA)や、大戦中の敵国だったドイツとフランスによる欧州連合(EU)の形成は、その代表例だろう)

経済成長を重視する社会は、環境破壊を含めさまざまな問題を生み出した。

ただ、平和構築という点については、一定の評価をしてもいいのではないかと思う。

多くの危機はあったものの、とりあえず70年余りの間、第三次世界大戦は起きていないので。

今後の平和の青写真

ただ、昨今の世界の経済格差の広がりや、日本を含む各国の社会不安の状況を見ていると、この「経済ベースの平和秩序」にきしみが出ているのではないかと感じる。

今の日本を含む各国の問題は、「経済による平和秩序」をさらに深化させることで解決できるのか。

あるいは異なる社会秩序の構想が必要なのか。

正直なところ、自分にはまだ見えていない。


過去の悲惨な歴史を語り継ぐことは、とても大切だ。

それと同時に「平和の青写真」を描き直すことが、今後の日本と世界の課題ではないかと思う。

自分は社会学者でもなんでもない一市民だが、現代社会に生きる人間として自分なりに考えたいし、よいアイデアがあればぜひ教えてほしいと思うのである。

QooQ