西日本の水害と自分の幸せ
「大切なのは、今ここで、まず自分が幸せであることですよ」一昨日に参加したヨガクラスの冒頭、インストラクターの先生の言葉が、ふと耳に引っかかった。
西日本の各地では現在、水害で倒壊した家屋の修繕や大量のゴミの処理など、多くの課題が山積している。
「このクラスには、今回の水害で、家族や親戚が被害を受けた方もいらっしゃるのと思います」
「被害に直接あっていなくても、不安なニュースが続くと、知らず知らずのうちに私たちの心はダメージを受けていることがあります」。
「こういうとき、楽しいことをしたりすることに罪悪感を感じるかもしれない」
「できる人は、ボランティアをしたり、寄附したりするのが良いと思う」
このように語った後、先生は少し間をおいて、
「でも、一番大切なのは、まず自分が幸せであることですよ」と強調した。
この先生のクラスには以前も参加したことがあったが、「いつもニコニコされている方」といった印象しかなかった。
だから驚いたのだが、先生もこの数年間、ご家族に大変な問題があったという。
そのことにも触れながら、先生は一言ひとこと、噛みしめるように語った。
「人は、問題を"問題だ”と捉えるとき、不幸に飲まれてしまうことが多い」。
「でも、何か問題があったとき、それを「良い・悪い」と価値判断するのでなく、まずニュートラルに捉えてみる」
「そのうえで、『自分は幸せになる』と意志を持つことが大切」。
(いつもながら、先生のおっしゃったことを正確に覚えておらず、うろ覚えで書いている。そのため、この文章には、僕の解釈が入っている可能性があることをお詫びしたい)
自分の幸せから、他人の幸せに働き掛ける
世の中、西日本にも西日本以外でも、大変な思いをしている人がいるだろう。そうした中、「今ここで、まず自分が幸せでいなさい」ということ。
その意味はどこにあるのか。自分なりに少し考えてみた。
一つは、実践的な観点だが、その方が結果的に、多くの人に良い働き掛けができるからだろう。
医療やメンタルケアの関係者が、仕事に熱意をもって取り組むあまり、燃え尽きて鬱病になってしまうことがよくあると聞く。
今ここで、自分の心と体の健康を大切にすること。
その方が長く働き続けることができるので、結果的に多くの人によい効果をもたらせるのではないか。
もう一つは、自分が幸せでない状態で、誰かのために何かをしようとするとき、往々にして「〜ねばならない」といった気持ちが生じがちだ。
「ねばならない」という意識で他人のために何かをしようとすると、結果的に、他人を抑圧する結果を招くのではないか。
(「あなたのために」といって、子どもに勉強などを強要する親なども、そういったケースがあるかもしれない)
反面、自分が今幸せである、というところから「他人にも幸せになってほしい」と動く方が、他人の声に耳を傾ける余裕が生まれやすい気がする。
今ここにある幸せを意識する
今ここで、美しい自然を愛でたり、楽しく話すことができる友達がいたりすること。
それは、けっして当たり前のことではないと思う。
幸せを、漫然と享受するのではなく、しっかり意識して感謝したい。
何かをするときに、まずそこから始めたいと思った。
最近、猛暑が続く中で、再び自分が夏バテになっているのを感じた。
この8月、ある資格試験を受ける予定だが、正直、その勉強もあって、知らず知らずのうちに、かなり疲れていたらしい。
昨日、別のネタでブログを書こうとしたのだが、体がだるく、集中力が出なかった。
西日本にもボランティアに行きたいが、まずは自分の体力を戻さないとならないだろう。
(ボランティアの第一鉄則は、自分の健康を自分で管理できることなので)
あれもこれも、とやりたいことはあるが、まずは自分の心と体を整えようと思う。
先日、あるお茶屋さんに立ち寄って、お茶を一服飲んだ。
埼玉県の狭山産の茶は、まろみの中に渋みがあり、夏バテで弱っている体に心地よい刺激を与えてくれた。
口に含んだ後、余韻にしばらく浸っていると、気持ちが落ち着いてきた。
おいしいものを、おいしいと感じられる幸せ。そこをまず、大切にしたいと思った。
【追記】
↓西日本の水害に関して、自分は下記のNGOに寄附をしたが、振込先の三菱UFJ銀行の振込手数料は無料になるという。
企業による小さな気遣いだが、素敵な取り組みだと思ったので、あわせて記したい。
http://www.japanplatform.org/programs/westernjapan-disaster2018/
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