わが内なる「森喜朗」を考える〜女性蔑視発言について

2021年2月6日土曜日

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 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長の森喜朗氏が2月3日、JOCで行った発言が、女性差別的ということでメディアで大きく取り上げられている。

以下は東洋経済オンラインの記事「森発言生んだ「ホモソーシャル社会」の大問題〜女性蔑視発言の背景に隠れているものは」から引用。


「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度規制をしないとなかなか終わらないので困る、と言っておられた。誰が言ったとは言わないが」。


これに対して、同記事では、上智大学の三浦まり教授が、

「歓迎されない発言も入れることが、ダイバーシティ」

「ホモソーシャルな社会での男性の意思決定は、一見効率的かもしれないが、実は危機管理としても問題があり、長期的には革新的ダイナミズムを失わせて、経済的にも非合理的」

と指摘している。


これは、本当にそのとおりだと思う。


同時に、「これはジェンダーの問題だけじゃないかもしれない」と感じた。

というのは、この問題の根本には、

「多様な意見を取り入れながら意思決定まで持っていく“話し合いのスキル”を持っている人が今の社会にそれほど多くない」

ということもあるんじゃないか、と思ったからである。


トランプ大統領について、「米国の分断」という問題がよく指摘されている。

日本社会でも、意見が合わない人間がいるとき、”共存”するというより、”触れ合わないようになる(分断される)”という事態に陥ることが多いのではないかと思う。


「分断されるくらいなら、空気を読んで話をまとめた方がマシ」ということで、このような「なあなあ主義」がまかり通る面もあるのではないかと思う。


多様な意見を受け入れながら物事をまとめるのは、かなりのスキルが必要だと思う(正直、僕自身もうまくできる自信があまりない)。

また、今の日本社会で、そういったことを学ぶ機会があまり多くないのかも、という気がする。


なので、今回の森発言を見ながら、


「多様な意見をまとめる技術」

「自分と異なる意見を持つ相手と関わり続ける技術」


そんなスキルを学ぶ機会を増やすことが、社会として必要なんじゃないか、と感じた。



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