【心の巣篭もり】見失った情熱のありかを探す

2020年12月30日水曜日

ヨガ・マインドフルネス

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年末休暇が始まり、この2日間、ずっと本を読んだり、自分の心を顧みたりしているところである。

このブログを定期更新しなくなったのは、香川に移住してからだ。

神奈川に住んでいたときは、ほぼ毎週、何かしら更新していた。

ただ、香川に移住してからは、新しい人間関係、新しい仕事がもたらす刺激の中で、自分の心をいちいち見つめるのが億劫になった。

(新しい環境の中で心が千々に揺れ動き、まとめるのが難しかった、ということもある。)

ただ、最近、何をやるにしても、「やる気はあるが、情熱があるとまでは言えない」ような状態である。

今年から30代後半にさしかかり、体の奥から湧き上がってくるような生命力が弱くなってきた。そうした中で、正直なところ、「やっとこさこなしている」ものが増えてきているように感じる。

で、自分を顧みてみて、自分がこうした状態に陥っているのは、自分の心を見つめるのを忘れていたことがひとつの原因だと気づいた。

自分の情熱のありかを見つめ直し、定期的に人生を小さく軌道修正をしていく。

そんなことが必要なのだ。

ことに良くなかっったのは、香川県に来た段階で、「地方移住」という夢がある程度叶ってしまったことだと思う。

(香川に来たことが悪かったわけではなく、その先を考えることができなかった自分が悪い、ということなので、誤解なきよう)

香川の生活は、浮き沈みや問題はもちろんあるが、概ね順調で、周りにいる人達にも恵まれている。

居心地もいいし、仕事の幅も広がって楽しい。

ただ、そうなると、他人から頼まれた仕事をこなして、休日はぐったり、という状態になっている。

そうした中で、自分の情熱のありかがよく分からなくなっていっている。

正直なところ、

「このブログ、ほとんど他人からは読まれていないし、がんばって書いても意味ないじゃん」

と思っていたのも、ブログをやめたことの理由のひとつだ。

ただ、今さら気づいたのだが、ブログを書くことを通して、自分の心を定期的に見つめ直すことは、薪や炭をかき回して、消えかけていた火を再び燃え上がらせるようなものなのではないかと思う。

内的な充実感というのは、だいたい、外部からの要請(一人前の社会人になれ、もっと稼げるようになれ、etc)とは重ならないものである。

なので、内省をしたところで、他人から褒められるわけではない。

それに、正直なところ、そんな面倒なことに時間を使わなくても、それなりに幸せそうに生きている人たちを周りに多く見かける。

(そうした人も内省の時間を持っているのかもしれないけど、端から見ると華やかな外的活動ばかり目立つ)

去年までの3年間は年末年始、タイ、インド、台湾と、海外で過ごしてきた。

それは、前職での過剰な忙しさの中で、海外に行きたかったのに行けなかった反発が大きい。

ただ、この年末年始は、新型コロナウイルスの影響で、身も心もロックダウンされているような状態だ。

「こりゃ、神様がくれた、自分の心を見つめる時間なのかもしれないな」。

なので、さっそくカフェに1人こもり、本を読んだり、ノートに妄想を書き付けたりして、改めて自分の心がどんな状態かを見つめ直している最中である。

世の中を良くする、地域を良くするのは大事なのだが、どうせ人間は誰もいつかは死んでいく身である。

なので、外的な活動というのは、あくまで充実した人生を送る方法の1つにしか過ぎないだろう。

地域を良くするのも大事だが、人の心の充溢を高めるほうが、もっと大切だと思う。

(内省もできないくらい、衣食住が足りていない人の生活改善はとても重要だと思うが)

内省をするとき、データは役に立つが、データから答えを導き出すことはできない。

幸福学はすばらしい取り組みだと思うが、人間というのは1人1人異なるもので、データばかりに頼っていると、社会政策はつくれても、自分の人生を満足いくものにはできないだろう。

なので、結局、やっぱり個々人が、自分を見つめ直す必要があるんだと思う。

僕の人生も、あなたの人生も、統計の一部ではなくて、かけがえのないものであるので。


と、そんなことを書きつつ、個人的には内省仲間を増やしたいということもあり(笑)、こういうブログでちょっとでも、心の大掃除に取り掛かろうという人の後押しになればと思う次第である。









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