台湾人の友人と、台中を歩いて

2020年1月13日月曜日

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今年の年始は、台湾に旅行した。

1月3日夜に台北着、1月6日早朝に帰国だったので、実質的に過ごしたのは2日間だけ。でも、多くの得るものがあった旅だった。

↓1日めの話はこちら。
台湾の夜市で見た、家族の姿


1月5日は、新幹線(高速鉄道)に乗って台中市に行った。

台中に行こうと思ったのは、もともと、そこにある「宮原眼科」に行きたかったからだった。

「コト消費」の嘘 』 (角川新書、川上徹也)に紹介されているこのスポットは、古い建物をリノベーションして観光名所となったシャレオツお土産どころらしい。

「まあ、地方創生の「お勉強」になりそうかな」

そう思ったのだった。

ところが、台湾旅行の少し前。

たまたまMessengerでやり取りしていた台湾人の友人が、

「その時期は、台中にいるよ〜」

と連絡をくれたので、予定を急遽一転。

彼女と、その友人たちと台中を回ることになった。


台中のお寺で


彼女と会ったのは、5日の午後。

そこから、彼女と、彼女の友人2人と、彼女のお母さんと、5人で台中を巡った。

タピオカミルクティー発祥の店「春水堂」に行って、近くのショッピングモールでご飯を食べたり。

僕がお寺好きなので、彼女の実家近くのお寺にも連れて行ってもらった。

(台湾人にとっても「お寺好き」というのは年寄りくさく見えるのかもしれない。「お寺に行きたい」と言ったら、心なしか苦笑している様子だった)



お寺は、観光客は少なかったが、地元の人達で賑わっていた。

中に入ると、お線香に火をともし、祈っている人たちの姿が見えた。

僕たちは、祭壇にまつられている1つ1つの神さまにお祈りしながら、中を歩いていった。


「この神さまは、日本にもありますよ。たしか、「観る」に「音」って書く・・・」

「観音菩薩さま?」

「そう、それ!」

彼女はところどころで、祀られている神さまの説明をしてくれた。


「●●さんは、ここには子どものときから来ているの?」

「うん、旧暦のお正月に家族でお参りに来たりしているよ。」

中で歩いているうちに、彼女はなんだか、少しウキウキしているように見えた。


参拝者には、両親に連れられているちびっ子も多かった。

そんな家族連れの姿を見つつ、ふと、

「彼女が子どものとき、どんなふうに家族でお参りに来ていたんだろうなあ」

と友人の過去を想像した。

幼い彼女が、お父さん、お母さんと一緒に夜、ゆらめく蝋燭に照らされている。

そんなシーンを勝手に思い浮かべだ。


それから、台湾の受験生の合格祈願が収められた回廊を通った。

さらに、参拝路の最後にある、紙のお金を燃やして神様に幸せを祈る炉も見せてもらった。


「へえー、日本では絵馬で受験祈願したり、護摩木に願い事を書いて燃やしたりするけど、台湾だとこんな感じなんだね」

「そうそう♪」


台湾の高校生たちは、どんな思いで受験をしているんだろうなあ。

そんなことを考えつつ、自分の高校時代のことを振り返った。

正直言って、自分の高校時代なんてロクなものじゃなかった。

なのに、卒業してから15年以上経てから振り返ってみると、なんだかベールの向こうで、やさしく光っているように思えるから不思議である。


思い出を共有する


それから、僕たちは台中駅の方へ向かった。

宮原眼科でアイスクリームを食べたり、彼女の友人が運営している人気バーガー屋さんに行ったりもした。

僕の友人は、台中生まれ・台中育ちで、日本に来るまでは、台中で働いていたという。

道すがら、彼女が通っていた大学や、初めて就職したときの話などもした。

「私が行っていたのは経済大学で、ここからはもう少し離れた場所にあって、バスで通ってたんだけど・・・」



僕たちが歩いたのは、くすんだコンクリートの建物が立ち並ぶ、鄙びた通りだった。

でも、彼女の昔話を聞いているうちに、そんな1つ1つの風景の奥に、なにかキラキラしたものが秘められている気がしてきた。


古びた看板や、この建物のシミ。

その1つ1つに、たくさんの思い出が詰まっている。

そんな風に感じられたのである。


思い出。

それは「ボーイフレンドと初めてデートした場所」のような、キラキラしたものばかりではないだろう。

部活の試合に負けて、トボトボ歩いた夜道。

就職の不安を抱えながら、急いで飛び乗ったバス。

「つまらない毎日だな」と思いながら、橋から見上げた曇り空。

そんなものも、もしかしたらあるかもしれない。


でも、1つ1つ、雪のように降り積もった時間が、見えない輝きになって、聞こえるとも聞こえない波音のように、町を浸している気がした。


高速鉄道に乗りながら

彼女たちが駅に送ってくれたときは、すでに辺りは暗くなっていた。

台中駅前のネオンは、新宿ほど毒々しくはない。

皆と歩きながら、夜闇の奥のきらめきのようなものを感じていた。


彼女たちとは、高速鉄道の駅で別れた。

高速鉄道に乗ると、車窓から、夜に灯る町の明かりが見えた。

「地元の人と一緒に町を歩くのって、その人の思い出の一部を共有することなのかもしれないなあ」

そんなことを思った。


台湾語がわからない中で

僕は台湾語が話せない。また、彼女の友人たちも英語がそれほどできるわけではないので、今回は、主に彼女が通訳をしてくれた。

言葉のわからない外国人が1人紛れ込んでいる状況というのは、受け容れる側にとってストレスなものだ。

通訳者の労苦も大変なものである。

(自分も、英語やロシア語で外国人のサポートをやったことがあるので想像できる)


でも、言葉がわからなくても、彼女たちがお喋りしているときの、温かい雰囲気が伝わってきた。

また、言葉のわからない自分が、1人ぼっちを感じないようにという気遣いがあちこちに感じられた。


帰りの高速鉄道は、緊張による疲れもあって、爆睡した。

でも、こうやって振り返ってみると、心の中からこぼれ出てくるのは、温かいものばかり。

改めて、友人に深く感謝したい。

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