正解を求めるのでなく、自分を自由に表現する:『 BLUE GIANT SUPREME』

2017年11月18日土曜日

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僕はストレス解消の方法がマンガなので、以前はよく新刊のマンガを買っていた。


だが、最近は金欠のため、100円単位でものごとをケチる生活を続けている。
そのため、新刊を買うことも、なるべく控えている。


だが、先日、本屋に立ち寄った時、平積みコーナーを見て、ついつい新刊3冊をまとめ買いしてしまった。
(2000円弱。規模の小さな話で恐縮です。。)


『BLUE GIANT SUPREME』。


これは、世界一のジャズ・サックスのプレーヤーを目指す主人公、宮本大(みやもと・だい。初登場時は高校生)を描くマンガ『BLUE GIANT』の続編だ。


宮本大は、出身地の仙台でジャズと出会い、東京に出てきてバンドを組む。
そして、一途にジャズの世界一のプレーヤーになるという目標を目指す。


東日本大震災や父子家庭などのリアルな社会様相が描かれると同時に、大の「ジャズが好きだ」という一途な姿や、「紙から音が聞こえる」と言われるほどの迫力のある演奏シーンが高い評価を受け、累計で300万部以上売れている。



途中でついていけなくなった第一部


もっとも、僕は、しばらく前に、『BLUE GIANT』は読むのをやめてしまっていた。

「世界一のジャズプレーヤーを目指す」
という、彼の目標が、話が進むにつれて、感覚的にうまく理解できなくなったからだ。


これは、作品の欠陥というよりも、自分の性格の問題だと思う。


「自分は絶対●●になる」という、うちから湧き上がってくる自信や強い思いを、ごく自然に持ちあわせている人はいると思う。
それは、素晴らしい生き方だと思う。


ただ、自分はこんな風には生きられなかった。

先日、このブログで頭痛の話を書いたが、僕はあまり体が頑丈ではないので、大と同じようなやり方で何かをやろうとすると、すぐに体を壊したりするだろう。


(実際、中学生の時は野球部だったが、よく疲れで熱を出していた)

それに、自分は「自分が何をやればいいのか」で、ずっと迷ってきた人間だ。

そういう意味で、大のように、「ジャズが好きだから好きなんだ」という感じで一途に自分の目標に突き進める人間に、共感を抱きづらかったこともある。

そんなこともあり、うまくだんだん興味がなくなってしまったのだ。


だが、1年半ぶりくらいに、店頭に並んでいる続編『BLUE GIANT SUPREME』を見て、その帯のコピーを読んだ時に、心がざわついた。


「宮本大、ドイツ・ミュンヘンへ! 見知らぬ地で、金もなく知人もいない。あるのはサックスだけ」


新しい環境の中で、どう自分の道を切り開けばいいのか。それが今の自分に重なり、思わず手にとってしまったのだ。



創造力が爆発するシーン


宮本大は、バンド仲間の一人が事故で障害を負い、ジャズを続けられなくなったことから、一人、海外に旅立つことを決意する。


そして、ドイツ・ミュンヘンという、知人がまったくいない環境の中で、まずは無料で練習できる場所を探すところから始める。


さらに、ジャズバーをめぐり、自分にライブをさせてくれるところを探す。
(ドイツ語はおろか、英語もうまく喋れない中で、さまざまな店の店主と交渉する)


ほとんどの場所で、無下に断られるが、やがて、偶然から自分に協力してくれる友人と出会い、彼のおかげで観客10人ほどの小さなライブを開くー


この、1巻の途中から始まるライブのシーンが、本当に素晴らしい。


『BLUE GIANT SUPREME』1巻P138〜139

大が、ドイツでの初めてのライブ中、どう演奏すれば観客の心に届くのかと、迷うシーンが出てくる。


「ドイツはクラシック音楽の代表国・・・朗々と、もっと荘厳に?」
「一音一音をもっと伸ばす?」
「厚みをつける?」
「いや、メタルのように数音で叫ぶ?」
「どれが、何が正解か・・・」


「あいつらがいてくれたら?玉田が、雪祈(日本でのバンドメンバー)がいれば・・・」


「や、違う、そうじゃねえ。何一つ言い訳はない。」
「オレは、一人で来たんだ」
「死ぬほど自由なんだ」
「自分のジャズを、オレのジャズを!」
「オレのソロを・・・自分を自由に表すように!」
「もっと強く、もっと高く・・・」


ここで主人公はいったんマウスピースから口を離し、「アー」と大声で叫ぶ。
そして、さらに激しく演奏する。


ここを読んで、シビレてしまった。生命が爆発するような、なんて創造的な瞬間なのだろうと思った。



正解を求めることと、自分を自由に表現すること


正解を求める心から、自分を自由に表現しようとする心へ。


正解をまったく求めないのは、ただの独りよがりだと思う。
「正解を求める」というのは、つまり、目の前にいるお客さんを尊重し、コミュニケーションを取ろうという行為だからだ。


しかし、どれだけ考えても、正解は出ない。
そうした中で、悩み抜いた末に、「自分はこうしたい」という道を選ぶ。
裸の自分を、相手に投げ出してみる。


これは、音楽に限った話ではないと思う。


仕事などでも、難しい判断を要する場面に遭遇する。
「何が正解なのか」をいくら考えても答えが出ない。


そして、悩んだ末に、「正解ではなく、自分が『こうあればいい』と思うやり方を取ろう」という道を選ぶ。
そんな判断が求められる時があるのではないかと思う。




大の活動に比べて、規模はまったく小さいが、このブログを始めた時、同じようなことを感じた。


世の中には、ブログだけで何千万円と稼いでいる人がいる。
そうした「プロブロガー」になる方法を書いた本も複数存在する。


ブログを始める時に、そんな本を読んだのだが、ブロガーの収入は基本的にはアフィリエイト広告(ブログに掲載する広告)で成り立っている。


そして、ブログが読まれている数(PV数)が高いほど、沢山の広告料が入る。


そのため、一般的に読者に好まれやすいジャンル(「グルメ」「健康」「旅」「自己啓発」など)をブログのテーマに定め、深掘りしていくのが、プロブロガーとしての順当な道のようだ。


そうして書かれた記事は、面白いものも多いし、実際、自分もよく参照にさせてもらっている。


なので、僕も、「なにか(読者ウケする)テーマを定めなければ」と焦りを感じた。




ただ、そう考えた時に、既存の何かのテーマに自分が書きたいことを押し込めてしまうと、自分が窮屈になり、結局続けられなくなる気がした。


むしろ、人生に迷っている自分が、「そもそも、自分は何に迷っているのか」を見つめ直すことが、今、一番必要なことではないかと思った。

もちろん、ある程度、人に見せる想定で書くものなので、他人には読んでほしいし、そのための努力はしようと思う。

でも、結局、他人に「これが正解だ、これが答えだ(だから、あなたもこのようにすべきだ)」と示すよりも、「自分はこんなことで迷ってきて、今の段階で、こんなことを考えている」ということを書くしかない、と思った。

(このブログを読んでくださっている方には、大変恐縮ですが)

それが、ビジネスにつながるかとか、社会にインパクトを与えることにつながるか、などは分からない。


ただ、「他人に対してどんな効果をもたらしたいか」を考える前に、「自分がどう生きたいのか」を突き詰めなければ、少なくとも、自分の未来はつながっていかないように思う。



『Blue Giant Supreme』の宮本大の姿を見ていて、改めて、容易に答えが出ない問いを、考え続ける続ける勇気をもらった気がした。

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