五感で感じることと、言葉をつづること:石牟礼道子さんの自伝『葭の渚』

2018年3月24日土曜日

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駅までの道で見つけた春

 今日は午前中に家で仕事し、午後から外出した。

夕方の用事まで少し時間があったので、美術館に行こうと考えたが、「人工物にずっと囲まれているのは、なんだか息苦しいな」という気分になった。

かといって、新宿御苑のような、つくられた自然があるところにも、食指が動かなかった。

そこで、単に家から隣駅まで、ぶらぶら歩くことにした。

ここ数日、仕事帰りに隣駅で降りて歩いているとき、街灯の光を透かして、いくつかの花が色づいているのが分かった。

「どんな花が咲いているのか、昼の光の中で見てみたい」。そんな気持ちがこみ上げてきた。

電車の沿線ぞいにある隣駅までの道のりは、他人に見せようといった意図の薄い、実用目的のためにつくられたコンクリートの道だ。


それでも、家の軒先や雑草が生い茂った空き地に、色とりどりの花やつぼみが、目の中で踊るように、鮮やかに見えた。

先日のブログで紹介した、ネイティブアメリカンの使う「感覚瞑想」の中には、「この風景を口に含んでみたら、どんな味がするかを想像してみる」というプラクティスがある。

「感覚瞑想」についてはこちら:
感覚瞑想:ネイティブアメリカンの教えに触れた2年前の研修

 冷気をはらんだ風が、頬にときどき寄せてくる。木々が、風を受けて、楽しげに揺れている。

そんな中、今、目に映る風景を口に含んでみた。

鉄道の線路を囲うフェンスや、コンクリート道路といった、グレーのカラーが強い風景は、はじめ、味気のないサプリメントのように思われた。

しかし、風が吹いてきて、花や雑草の匂いが鼻腔をこすると、風景は、酸っぱく、少し甘い味に変わった。


言葉をつづることの喜び:石牟礼道子さんの自伝『葭の渚』


今、『苦海浄土』などで知られる作家・石牟礼道子さんの自伝『葭の渚』(よしのなぎさ)を読んでいる。

彼女は、熊本県の天草や水俣のあたりで育ったが、「今はどうなのか分からないけれども、そのころの村落では、女性が字を書いたり読んだりするのは、罪悪視されていた」(P262)とあるように、本を読むことがあたり前でない環境で育った。

実際、彼女の母も、まったく文字が読めなかったという。

現在、アジアやアフリカの開発途上国で、識字率の向上に取り組んでいる教育NGOや国際機関があるが、日本も少し前までは、そんな状況だったのだろう。

以前、江戸時代の風俗を描いた白土三平氏のマンガ『カムイ伝』で、江戸時代は、そもそも農民は書物を読むことが禁止されていたことを知った。

現代も、中国をはじめ多くの国では情報が統制されている。

改めて、本を読めること、情報をインターネットからかなり自由に得られることは、けっして当たり前のことではないのだと痛感する。

もっとも、そんな世界の中で、石牟礼さんはものを書く喜びを覚えていく。その下りは、かなり控えめに描写されているが、読んでいて、個人的には、童心を思い出させてくれるような表現がなされている。

「小学校に上がると、世界が一挙に広がった。文字を覚えて、『つづり方(作文)』というのを書いてみると、現実という景色が、いのちを与えられて立ち上がるのである。つづり方の時間になると嬉しくて、鐘が鳴っても書きやめたくなかった」
(P101)

「現実という景色が、いのちを与えられて立ち上がる」。ぼく自身も、子どものときに小説や童話を読みながら、深く感じたことだ。
(自分はそのとき、大したものを書けなかったが)

今、普段は正直なところ、ビジネスに関する情報収集ばかりに意識を置いて言葉を摂取している。

そのため、こんな感覚は久しく忘れていたのだが、言葉を使うこと、それによって人が生きていることを物語ることは、根源的には、新たな現実を生み出すような行為なのだと思う。

情報過多の現代社会で

 ただ、この下りを読んでいて、一方で、ふとため息を付きたい気持ちも起こる。

今の日本の、特に都市部に生きていると、石牟礼さんが経験したのとは全く逆の状況、つまり、情報量が多すぎて脳がまったく追いつかないようなストレスに日々さらされているからだ。その一方で、五感でものごとを感じる時間は、とても少ない。

(脳科学者の養老孟司さんが、しばらく前にベストセラーになった『バカの壁』で、たしか都市のことを「脳化社会」だと称していたと思う)

石牟礼さんの場合、むしろ、五感でものごとを感じる経験は、事欠かなかったようだ。そして、それが彼女の創造の源泉になっていることが、作品の節々から伝わってくる。

『葭の渚』の中では、石牟礼さんが子どものとき、祖父の事業の関係で、熊本や鹿児島近辺のさまざまな村を、母に背負われて訪ねた時のことが描かれている。

ある村を訪れて、そこの谷川を見たときのことだ、

「川原の崖に赤い山百合が咲いていた。味わったことのない感情にとらわれた。谷の水がきれいだった。」

「水の流れる音だけが聞こえる。女の人たちの声が、『吉田さんの、娘御の、来らしたよう』よ呼び合っている・・・(中略)・・いつまでも聞いていたい水の音だった。生命の本源というのか、川原の石も水も、その音も崖を形作っている草も背後の山々も呼吸しあっていたが、わたしは不思議な孤独を感じていた」

「「大久保あたりの棚田は美しかのう。人の手が石になじんで、ああいう美しか田をばつくる」。祖父がしばしばいうことばが、水の流れのように聞えた。ひょっとすれば、この時、大地と人間がつくり出す哲学というか、美の源流に立たされたのであったかもしれない」。
(P48~49 )

五感でものごとを感じることと、言葉を使うこと。

本当に、ものごとを豊かに感じられるような、幸せを鋭敏に感じられるような感性を創るには、多分、両方を行き来するようなことが必要なのではないかという気がする。

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