自分の生き方に迷うことと、確信を持つこと

2018年2月8日木曜日

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ここ数日、また仕事が忙しくなっている。うまく進まないことが多く、イマイチな気分で帰途につくことが多い。

でも、今ブログを書きながら、「そんな一日であっても、自分の人生に一回しかない日だったのだ」と思い返す。

そして、呼吸を深めて、「今・ここ」に生きている自分の命に耳を澄ませようとしてみる。

「迷うこと」は、自分が余裕のある状態ということ。

先日、このブログで、「自分は、人生について迷ってばかり」ということを書いた。

ブログ:【今週の感謝】「自分は成長してないのでは」という焦りと、考えるきっかけを与えてくれた友人たち

以前、ある占い師から、「あなたは飽きっぽい人間だ」と言われたことがある。自分としては、必ずしも飽きっぽいとは思っていないが、「あれもやりたい、これもやりたい」と考えて、結局どれも中途半端なままキャパオーバーになってしまうことが多い。

そうしたことから、「自分の道はコレ」と定めている人間の前に出ると、「自分はこのままでは駄目なんじゃないか」と焦りを感じることが多い。

もっと、自分のやることを絞り、力を集中させる必要がある。そう思いながら、いろいろなものを削ってきたが、まだまだ削り切れずに迷っているものも多い。

ただ、そんな自分を見つめ直す中で、「そもそも、迷っているというのは、どういう状態か」ということを改めて考えてみた。

それで気づいたのは、第一に、「自分は今、迷っていられるほど余裕がある状態なのだ」ということである。

以前、本当に苦しかった時期がある。

その時は、わらにもすがるつもりで、手当たりしだい、解決策を求めたものだ。「なんとしても、この状況を脱しなければいけない」という危機感にさらされていたからだ。一つ一つのことに迷っている暇などなかった。

そう考えると、「迷っている」と言えるのは、相対的に今、自分はある種の猶予を頂いているということだ。


「迷うこと」をポジティブに捉える

その上で、第二に考えたのは、人生において「迷う」ことと、「確信を持って生きる」ことは、貝が殻を開けて餌を取り入れたり、殻を閉ざして自分を守ることと似ているのではないか、ということだ。

迷っている状態というのは、いろんな可能性を探している時なので、さまざまなものを摂取しようとする。実際、自分が本を読む量が増えるのは、何かに迷いを抱いているときである。

一方で、確信を持って進んでいる時というのは、自分を広げる必要性を感じない。逆に、今、自分がいる位置を掘り下げようとする時である。

迷うことも、確信を持って進むことも、人生には両方とも必要なのではないかと思う。

危機的状況に陥ったり、嵐の中にいたりするような時に迷っていたら、死んでしまう。でも、常に確信を持って「自分はこのままで変化する必要がない」と思っていれば、自分を広げることも、他者を受け容れることもできなくなるだろう。

(「自分で在る」「自分らしく生きる」ことは大切だと思うが、世界は無常だから、自分も変化を続けている。確信を持ち続けるというのは、ある時において、この自分の変化を無視することにもなりかねない、と思う)

前述のブログで、自分の瞑想の先生に「自分の生き方に疑問を持つのは大切なこと」と言われたことを書いたが、改めてこの言葉を噛み締めてみる。

自分が今、迷う時期にある。そのことを、もっとポジティブに受け入れて、色んな可能性を探ってみたいものだ、と改めて思う。

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