いろんな人が幸せになれる社会:文化の多様性について

2017年11月23日木曜日

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文化とは人の生き方


「多様性の尊重」
「異文化コミュニケーション」
近年、こうした言葉を耳にする機会が、ますます増えている気がする。


僕が大学生の時(10年くらい前)にも、
「異文化コミュニケーション」
という言葉はすでにあったように記憶している。
僕は外国語を専門に勉強する学部にいたので、この言葉には親しみがある。


ただ、僕は、大学院卒業の前まで、「異文化」を実感として感じたことはなかった。


それまで、留学でロシアのモスクワに10ヶ月ほど滞在したことがあった。
また、米国のニューヨークに行ったことがあった。だが、どちらも
「東京と似ているな」
と感じたのが、正直なところだった。


どちらも皆、狭いアパートで暮らし、オフィスワークでお金を稼ぎ、カフェで休憩したり、休日は観劇したりする。


ニューヨークのブロードウェイの劇場を片目で見ながら、
「日本の東京でも、カネさえ払えば、似たような体験はできるなあ」
と、どこか冷めた気持ちが去らなかった。


観光客用に整備された観光地を遠目で眺めながら、
「外国に行っても、あんまり面白くないなあ」
などと、思ったりした。

(今から考えると、これは、学生という気楽な身分と、自分の見識のなさもあったと思う)


フィリピンでの体験


海外に対するそんな見方が変わったのは、フィリピンの貧しい家庭でホームステイをさせてもらった時だった。


就職が決まった大学院2年生の夏休み、
「学生のうちにしかできないことをやっておこう」
程度の動機で、あるNGOのスタディツアーに参加させてもらったのだ。


(当時、途上国に関しては興味はほぼ皆無だった)


そのフィリピンの家では、マニラからも車で数時間離れた山の中にあったのだが、彼らはなんと、近くの木を切って、自分たちで家を建てていた。


(床板がまだついてなくて、彼らは土の上にシートを敷き、そこでタオルケットなどにくるまって寝ていた。
僕は客だったので、床板がついているところで寝させてもらい、なんだか申し訳なく思った)


水も自分たちで近くの川から汲んできて桶にためておき、それで体を洗う。


炊飯は、小学校の理科で使うような小さなガスコンロに、ちっぽけな鍋を置いて、そこでつくる。


コンクリートに囲まれた、キッチンや水道が当たり前のように備わっている家でしか暮らしたことがなかった自分にとっては、その生活は衝撃的だった。


「人間って、こんな風にも生きられるんだ」
と感じたのだ。


生きる可能性を広げる


このフィリピンでの経験を鮮明に思い出したのは、仕事を始めた後だ。


僕は仕事のできない人間だったので、仕事上での悩みが色々とあったのだが、その時に脳裏に蘇ってきたのが、フィリピンでの体験だった。


「人間は、いざとなれば、山の中であんなふうに生きられる」


それは、自分の心の中で、追い詰められた時の逃げ道であり、希望の光のようなものでもあった。


文化とは、人の生き方の総体だと思う。
何を食べるか、どんな家に住むか、どんなふうに仕事をするか、どう家族と接するか。


(「文化とは芸術などであって、生活は文化ではない」
という人もいると思う。
だけど、芸術は、そうした人々の生きた生活につながってこそ、人々の心に届くものになるのだと思う)


そして、文化の多様性がある社会とは、
「こんな生き方もあっていい」という可能性が満ちている社会だと思う。


なんとなく、今の日本で仕事をしていると、
「仕事ができるビジネスマンになることが、人としての理想像」
という空気を感じることがある。


実際、バリバリと働くビジネスマンには、尊敬できる人も少なくない。
ただ、皆が皆、努力だけでそうしたビジネスマンになれるわけではない。


人間には、生まれながらの性格がある。
生まれながらエネルギッシュな人もいるし、のんびり屋の人もいる。
努力だけで自分を変えられるわけではない。


(それに、皆が金太郎飴みたいに、同じような性格であったら、そのほうが問題である気がする)


多様な性格や性向の人が、それぞれ幸せになれる場所を見つけられる社会。
そうした社会こそ、豊かな社会のあり方だと思うのだ。


前に、ベトナムで仕事をしている人と話をした時、
「ベトナム人はすぐに仕事を辞めるので困る」
という話を聞いたことがある。


というのは、ベトナムの多くの人にとっては、仕事より家族のほうが大切だから、家族との時間が損なわれるように感じると、すぐに仕事を辞めてしまうのだそうだ。


その人は、「そんなんだから、ベトナムはいつまでたってもダメなんだよ」
と嘆いていたが、なんとなく、自分は
「そんな国も、なんかいいかも」
と、心の片隅で思ってしまった。


仕事を重視する文化があってもいいし、仕事より家族を重視する文化があってもいいと思う。



最近、日本国内の地域おこしに携わる人に話を聞いていると、
「日本が昔から培ってきた良い文化を残したい」
という思いを耳にすることが多い。


日本も、過去の歴史の中で、さまざまな文化を紡いできた。
それらを残す、ということは、人間の生きる可能性を広げることにつながると思うのだ。


自分も、これから仕事などを通して、
「いろんな人が幸せになりうる、多様性がある社会」
をつくることに、少しでも関わっていきたいと思う。

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