コンパッション(思いやり・慈しみ)の意味:ジョアン・ハリファクス博士の講演を聞いて

2018年4月4日水曜日

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今日一日、自分はどのくらい、他人の言葉や気持ちに耳を傾けようとしただろうか。

最近、「自分のことに手一杯で、他人に気持ちを向ける余裕がない」と感じるときが多い。そんな反省を込めながら、今、このブログを書いている。


一昨日(4月2日)の夜、「コンパッション(Compassion、思いやり、慈しみ)」をテーマとする講演会を聴きに、慶応大学の日吉キャンパスに行った。

「コンパッションとマインドフルネス ジョアン・ハリファクス博士講演会 エンゲージドブディズムの旗手から学ぶ、燃え尽きを防ぎつながりをもたらす叡智」

登壇したジョアン・ハリファクス博士は、米国の文化人類学者で、仏教の禅僧でもあるというユニークな肩書の人だ。

彼女は、「死にゆく人の看取り」をテーマとし、災害被災地や刑務所、緩和医療などの現場で、ケアに携わってきた人。

このブログで何度か言及した「マインドフルネス瞑想」を世界に広めたベトナムの禅僧、ティク・ナット・ハン師や、チベットのダライ・ラマ法王の友人でもある。

医療現場の問題にくわえ、貧困や差別といった厳しい社会の現実。そうした困難な場所において、瞑想がどのような力を発揮するのか。

ハリファクス博士は、そうした「実践」の観点から瞑想に関心を持っている人にとって有名人なので、僕も名前を耳にしたことがあった。

彼女の取り組みについては、日本語でも、すでに下記のようなWebサイトや動画が紹介されている。

日本で実施する企業向け研修について
TEDの動画

 ここでは、自分が彼女の講演を聴いて印象的だった点を記録しておきたい。

(途中から入ったので、最初の部分を聴くことができず、理解が片手落ちな箇所があるのはご容赦いただきたい)


◆「コンパッション」は、相手に寄り添うだけでなく、相手の苦しみの原因を理解し、改善のために行動すること


コンパッションとは、人間に生来備わっている「困っている人を助けたい・役に立ちたい」という思いのことだ。

人間の脳には、そもそも相手の痛みを自分の痛みのように感じる「Mirror-touch synesthesia(共感覚)」が備わっている。

それゆえ、人によって程度の差はあれ、「他人が痛そうにしていると、自分も痛いように感じる」という感覚があるという。

ただ、「コンパッション」というのは、一般的にいう「同情」とは異なる。

ハリファクス博士は、「コンパッションには、『相手の痛みに感情的・身体的に寄り添う』という点とともに、『なぜ相手が苦しんでいるのか、その原因を理知的に理解する』、『相手が苦しみを抜け出せるよう、実際に行動を起こす』という側面が含まれる」と述べた。

さらに、相手の苦しみの源を明確に見るために、「相手と自分は違う人間だ」という意識を保ち、相手の苦しみに自分も飲み込まれないように注意することも大切だということである。


◆他人をないがしろにする人は、自分自身もないがしろにしている

コンパッションの源には、脳細胞に基づく身体的な反応があるが、興味深かったのは、ハリファクス博士の次のような指摘だ。

「地球上には、他人に対して共感することを戒める文化が支配的な地域がある。そうした文化圏に住んでいる人は、自分自身の心・体の中で起きていることを読み取ることも苦手だ」

コンパッションの根源は、自分自身に起きていることを深く見ること。自分を深く見れない人間は、他人の痛みも深く見ることはできないということだ。


◆道徳的に麻痺した状態と、自らを省みない姿勢が重要になるとき

 コンパッションは、人間の脳に宿っている生得的な心である。

ただ、社会に深く根ざした問題により、こうした感情が「麻痺」した状態になっている社会も多くあるという。

例えば、ハリファクス博士は、米国の黒人差別が激しい地域で生まれ育ったが、「私も含め、ほとんどの白人たちは、黒人差別を問題とも思っていなかった」という。

そのうえで、「こうした無関心の状態を抜け出して、社会をよりよくするためにも、コンパッションの心を養うことが大切だ」と強調した。

この話が個人的に気になり、「でも、皆が見て見ぬふりをしている問題に対して、何かをしようとすることで、自分が孤立することもあるのでは」と質問した。(学校のイジメ問題などもそうだ)

それに対し、ハリファクス博士は、「コンパッションには、厳しいものと、優しいものの両方がある」としたうえで、「コンパッションは、そもそも非利己的な意図で行うものだ。そこに自分を挟んではいけない」と指摘した。


随分厳しいことを言うなあ、というのが正直な感想だったが、、一方でハリファクス博士は「何かに取り組むときに、過度に結果を求めてはいけない」とも語っている。

結果に固執することが、自分の持つ能力をおかしな形に歪めるという。

問題に対してどのような姿勢で臨むのか。彼女の話には、まだ奥が深そうだと感じた。

◆リラックスすることで見えてくるもの

講演会中、あるヨガインストラクターの方が、ハリファクス博士に対して質問した。

「私のヨガクラスには、人生に困難を抱えている人が多く訪れる。しかし、そうした人たちは、自分の問題を他人に解決してもらおうとしていて、自分自身が変わろうとしない。こうした状況に対して、どうすればいいのか」。

それに対して、ハリファクス博士は、「Just relax」と言った。

一瞬、「えっ?」と戸惑ってしまい、十分にメモを撮り忘れたのだが、ハリファクス博士は「リラックスしないと、見えないものがありますよ」と語った。

世の中の複雑な問題は、A-B、B=C、A=Cといった直線的な論理でもって解決できない場合も多い。しかし、気を緩めたときに、まったく別の解決策が見えてくるものがある。

老師は、多くの悲惨な現場を見てきた人だ。これは、おそらく理論的なものというより、実践知なのだろう。


実は、先日このブログで書いた、ネイティブ・アメリカンの智慧を伝える松木正さんの著書『あるがままの自分を生きる』のなかでも、「シリアスになりすぎると大切なものが見えなくなる」という話が出てくる。

主体的に生きること:ネイティブアメリカンの教えから

個人的に、「難しい状況の中で、いかにリラックスした心を保つか」は、前々から関心を持っているテーマだが、ハリファクス博士の話を聞いていて、そこに新しい光を投げ掛けてもらった気がした。


今回の話は、自分の中でまだ消化しきれていないが、今後も考え続けるために、いったん、ここにメモをしておきたい。




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