『君の名は。』:多くの「誰か分からない君」で成り立っている自分

2018年1月20日土曜日

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朝、目が覚めて、洗面所にうがいをしに行った。

うがいや歯磨きをする時、いつもは「今日の仕事、どうしよう」といった考え事が頭の中を駆け巡る。

でも、今朝は土曜日。少しゆったりした気分だったからだろう。口に含んだ冷たい水が、のどを爽やかに潤していく感触を、いつもより明確に味わうことができた。

水道の蛇口を見つめていて、ふと先日、仕事関係で聞いた、奥多摩湖の話を思い出した。

東京の西にある奥多摩湖は、1957年、都民の水需要をまかなうために、多摩川をせき止めてつくられた。現在でも、日本最大級の水道用貯水池だという。

公共インフラをつくる時はどこもそうだと思うが、奥多摩湖を作る時も、関係者の間では大変な苦労があったのだろう。

(周辺住民の方で、移転などに関して大変なご苦労をされた方もいらっしゃるのではないかと想像する)

僕は現在、東京都内で働き、奥多摩湖の恩恵を受けている。そのことに思いを致しつつ、「自分の生活は、さまざまな他者や自然の営みの上に成り立っているんだなあ」という感慨が湧いた。


『君の名は。』を2回見て

2016年に大ヒットした映画『君の名は。』。先週、TSUTAYAでDVDをレンタルし、ようやく見ることができた。

1回目見た時は、もやもやした感じが残ったので、結局、2回見てしまった。

そして、2回目の最後の方まで見た時、「これって、奥多摩湖と自分のつながりと、同じような話かも」と感じた。

(以降、盛大にネタバレしています。まだ見てない人は、自己責任(笑)で読んでください。)

自分にとって感情移入しづらいストーリー

『君の名は。』を初めて見た時の感想は、「自分にとって感情移入しづらいストーリーだな」ということだった。

※作品の批判というよりも、あくまで筆者個人の人生に即して感情移入しづらい、という意味です。

それには、2つの理由がある。

第一に、自分は「土地の伝統」といった観点から遠いところで生きてきたこと。

『君の名は。』では、「組紐」「口噛み酒」といった伝統文化が、主人公の瀧と三葉を結びつける上で、大きな役割を果たしている。

「でも、自分の人生は、そういう伝統文化に縁があまりないしな〜」と思ってしまった。

僕は、都内へ通うサラリーマンが住む集合団地という、およそ歴史性や伝統文化があまり感じられない場所で育った。

『君の名は。』はロマンチックだけど、「しょせんは自分には関係のない話」という気がした。

(三葉が「こんな地元イヤや〜」と言っていた部分は解決されないままだったことや、都会者の瀧くんが別に生きるスタンスを改めたわけではない、という点も含め)


第二に、『君の名は。』は一種の「運命のラブロマンス」と言えると思う。

主人公の瀧と三葉は、もともと何かの関係があったわけではない。ただ、彼らは、運命というか、人間の意識を超えた力によって結び合わされる。

これに関しても、「こういうロマンチックな経験できる人はうらやましいなー。でも自分には縁のない世界だよね」などと思ってしまった。

あちこちに感じられる「人の意志」

ところが二回目を見て、こうした印象は大きく変わった。

ラストに近いシーンで、主人公の瀧が、就職面接で「人の心を温めてくれるような町の景観をつくりたい」「東京だって、いつ無くなってしまうか、分からないから」と発言する箇所がある。

これを聞いて、ハッとした。

『君の名は。』では、1000年以上前にも糸守町には彗星による被害を受けたことが示唆されている。

そして、次に来るだろう災害に備えて、三葉の家である宮水家に、人の入れ替わりをおこしうる力を秘めた「組紐」「口噛み酒」の伝統が引き継がれてきたらしい。

そして、実際に「組紐」「口噛み酒」を使って、瀧と三葉が入れ替わったことにより、糸守町の住民が救われる。

ここで思ったのは、「組紐」「口噛み酒」には、「災害で二度と大切な人を失いたくない」という、三葉の祖先たちの思いが込められているのではないか、ということ。

そして、先程の「東京もいつ無くなるか分からない」という瀧の発言を聴いた時に思ったのは、

「色んな人の思いが込められている」という意味では、東京も他の地域も変わらないのではないかということだ。

冒頭で、奥多摩湖の話をしたが、僕たちの生活は、自分でも知らない、さまざまな営みによって支えられている。

東京に住んでいても、深く見ようとすれば、街中の至るところで、「人の意志」や歴史を感じることができる。

(例えば、JRや地下鉄で、「絶対に事故を起こさないぞ」という気持ちで働いている職員の方々の思いは、三葉の先祖たちと通じるものがあるのではないか、という気がする)

そんなことを考えた時に、『君の名は。』に出て来る三葉のおばあちゃん(一葉)の、下記のセリフの意味が、少し分かった気がした。

「縒り集まってかたちを作り、捻れて、絡まって、時には戻って、途切れて、また繋がり...」
「それがむすび。それが時間」

現在、僕自身も、過去のいろいろなものが積み重なり、絡み合い、混じり合って生かされている。

そして、そのつながり方は、決して直線的ではない。

例えば、僕は普段、ユニクロの服を来ているが、同時に、江戸時代に起源を持つ藍染の日本手拭を使ったりしている。

さまざまな時代の、血がつながっていたりいなかったりする様々な人の残した文化や経験が、自分の中には、さまざまに混じり合いながら現れているのだろうと思う。

ちなみに、『君の名は。』の中では、瀧も三葉も、何度もお互いのことを忘れてしまう、という描写が出てくる。

これも、示唆的だと感じた。

というのは、僕が自分が使っている水道水が奥多摩湖から来たのを知らなかったように、僕たちは、名前を知らない無数の「君」によって、生かされているのではないか、と思ったからだ。

『君の名は。』の続編を妄想する

そんなことを思いつつ、見終わった後に、こんな形の『君の名は。』の続編を妄想した。

ラストシーンで再開した瀧と三葉は、その後、結婚する。

そして、ともに生活をする中で、「自分たちを結びつけてくれた「組紐」と「口噛み酒」の伝統を残したい」という思いが、日ましに強まってくる。

瀧は東京の建築設計事務所で働いているが、同じく、さやちんと結婚したてっしーと出会う。

てっしーもまた、自分の親の会社は潰れてしまったため、東京の建設会社で働いてきたが、「糸守町の復興に何かをしたい」と思っている。

そこで、瀧とてっしーは、「宮水神社を、一緒に再建しよう」と意気投合する。

そして、三葉は、妹の四葉の協力も得ながら、口噛み酒と組紐の伝統の復活を目指す。それに、さやちんも協力する。

多分、こういう話をすすめる上では、色んな葛藤が起きるだろう(三葉はもともと地元が嫌いだったし)。

そんな心の揺れも含め、こんな続編が出来たら面白いな、などと思った。

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