世界に問題が多すぎて、思考がマヒしてしまう時に

2017年10月27日金曜日

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先日、『ぼくは13歳、任務は自爆テロ』(合同出版)という本を読んだ。

これを書いたのは、ソマリアの若者たちの社会復帰を支援するNPO法人アクセプト・インターナショナル代表の永井陽右さん。

僕は彼と面識はないが、前職の縁で、この本を手に取る機会を得たのだった。


「世界で最も危険な国

「ソマリア」という国名を耳にして、ピンとくる人は少ないと思う。

僕自身も、これまで「なんとなく危険な国」というイメージしかなかった。
だが、本書を読むと、本当に大変な状態なのだと、つくづく感じる。

ソマリアは、アフリカの東端にある。
1980年代に内戦が始まり、1991年には政府が崩壊。無政府状態に陥った。

他のアフリカの国も90年代ごろまで内戦が続いたが、現在はだいぶ落ち着き、資源価格の高騰によって著しい経済発展をしている国も多い。

だが、ソマリアは、いまだに暴力が吹き荒れており、首都モガデシュでは、銃声が聞こえない日はないという。

ちょうど先日、10月14日にも、大規模なテロが発生し、700人を超える死傷者が出た。
多発する誘拐・殺害事件を受け、2013年には「国境なき医師団」ですら撤退を余儀なくされたという。


こうした、ある意味国際社会から見捨てられた国に対し、永井さんたちのNGOは、隣国ケニアに逃げてきた若者たちなどへの支援を行っている。

ケニアでソマリア人が多く住むのはナイロビのイスリー地区というところだ。

ここは、複数のギャンググループが抗争を続けており、日常的にマシンガンなどの武器や麻薬が取引されているという。

貧困ゆえに十分な教育を受けられず、よい仕事につくことができない若者たちは、生きるために仕方なくギャンググループに入る。

そして、血まみれの抗争に巻き込まれたり、麻薬漬けになったりする。

また、ソマリアはテロ組織として有名なアル・シャバーブの発祥の地だが、こうしたテロ組織に勧誘を受け、テロリストになる若者も多いという。

『ぼくは13歳、任務は自爆テロ』は、こうした状況をリアルに描いており、読んでいて、自分の中にも苦しみがこみ上げてくるようだった。


「好きでも得意でもないけれど、必要だから取り組む」

この本を読んで、特に印象的だったのは、二点ある。

一つは、永井さんが、ソマリアの問題に取り組むようになった理由を
「やりたいことだからではなく、誰かがやらなければならないことだから」
と述べていること。

「国際協力の本にはしばしば、『好きなことをやりなさい』『得意なことを活かしなさい』というアドバイスが載っています。さて、テロと紛争を好きな人はどれほどいるのでしょうか。
国際協力は、あくまで問題を解決する分野であり、好きでも得意でもないけれど、必要だから取り組む、という姿勢が必要になることがあるはずです」
(同書P139〜140)

そして、もう一つ。

ほとんどの日本人と縁もゆかりもないように見えるソマリアの人々に対して、どういうモチベーションで、彼が支援活動するのか、という点について。

彼は、それを、「同じ人間だから」と語っている。

「もう一つ、他者と共感するために、いい換えれば『他人ごと』を『自分ごと』に引きつける方法として、ぼくは『僕のアイデンティティ』を広げることを心がけています。
具体的には、『家族として』『友だちとして』『学友として』『●●県人として』『日本人として』というぼくの帰属意識を『人間として』という段階にまで拡大する思考法を駆使しています」
(P131〜132)


多すぎる社会問題を前に、何をしていいのか分からなくなる

問題の深刻さと、その中で希望を見出す方法を探る永井さんたちの真摯な取り組みに、深く心を打たれた。

同時に、ある種の困惑も感じた。

というのは、「だったら、自分は今ここで、ソマリアの人々のために色々なものを投げ打って、何か活動できるか」と言うと、なかなかできそうにないからだ。

彼らの活動に、意義を感じないわけでは全くない。

そうではなく、世界に他にも多くの問題がある中で、なぜ自分がこの問題に取り組むのか、自分なりの答えを見いだせないからだ。

先日の選挙で見られたような日本の政治の問題もそうだし、ソマリア以外の国の貧困なども、深刻だと思う。

いわゆる社会問題でなくても、仕事や子育てなども、決して楽なことではない。

(僕が住む場所は住民自治的な考えが弱いのだが、地域コミュニティーが強いところでは、地域のボランティア業務なども多いだろう。そして、それは大事な仕事と思う)


すべての問題は深刻だ。
そして、どんな問題も、中途半端な取り組みでは解決できない。
それに対し、自分の時間も体力も、あまりにも有限だ。

(僕はあまり体が頑丈ではないため、少し無理をすると、すぐに熱が出たりする)

その中で、必然的に、やることを絞らざるを得なくなると思う。


僕は、前職の関係で、イラクやアフガニスタンの問題から、難民、アフリカの若者の雇用創出、東南アジアでのゴミ処理問題など、さまざまな問題に取り組んでいる日本人や、当事者から話を聞く機会を得た。

また、プライベートで、日本の被災地の話や、地方の過疎化の話を聴く機会を得た。

どれも大変で、どれも必要なこと。
そして、どこも人手も資金も不足しているのだと思うたびに、
「だったら、自分は何をするか」
が分からなくなっていった。

ある問題が別の問題よりも深刻であり、自分の有限な資源を投下すべきだと、何によって決めることができるのだろうか。

その物差しは、いったいどこにあるのだろうか。


「自分はあなたのようには考えていないけど、あなたのやり方を尊敬します」

僕は、その答えが出せなかった。

僕の場合、自分が生きる上で、ものを書くことと、瞑想・ヨガが欠かせないことだ。

そのため、今は、これらを深掘りすることを通して、社会につながる道を見つけたいと考えている。

これはつまり、自分の好きなことの先に、世界とつながる方法を探るものだ。

(今は全く修行が足りないのだが、将来は途上国など海外も含め、ヨガ・瞑想を通して、人が自分自身を見つめたり、苦しみを少し和らげたりすることをお手伝いする、ささやかなボランティアなどができないか、などと思っている)


前のブログに書いたが、以前、義務感から反戦活動に参加し、耐えられなくなって辞めた経験がある。

その経験から、自分を苦しめるような形で物事に取り組むと、むしろ世界に不幸を生み出すのではないか、と思うのだ。


ただ、こうした自分のアプローチは、永井さんが指摘するように、当然、片手落ちだ。

テロや紛争解決は必要だが、これらを楽しんでやる人など、なかなかいないだろうから。

また、今のように政治家になると損をすることが多そうな社会だと、政治家になりたがる人も少ないだろうと思う。


こうした中で思うのは、世の中には
「やるべきことだからやる」という人と、
「好きだからやる」という人の、
両方が必要なのだろうということだ。

世界というのは、一つの考え方だけではうまく回らない。

人間とは、誰でも、一人では欠陥を抱えているものなのではないかと思う。

だから、
「自分はあなたのようには考えていないけど、あなたのやり方を尊敬し、応援しています」

というように、自分と異なる考え方・スタンスの人を持ち、自分とは異なることに取り組んでいる人を尊ぶ態度が必要なのではないかと思う。


世界も日本も、今後もずっと難しい状態が続くだろう。
そうした中で、どう自分の軸を据えるのか。
こんなことを基盤に、考えをもっと深めていきたいと思うのです。


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